大阪市と堺市は、一部が入り組んでいるもののだいたい大和川が市境になっています。
大和川の北側は大阪市、南側は堺市ってな具合です。
そしてこの大和川は何かとアレなエリアとなっておりまして、なかなか香ばしい歴史やその名残があります。
今回探訪したのは、大和川沿いの遠里小野。遠里小野と書いて「おりおの」と読みます。
大阪市側と堺市側の両方に「遠里小野」という同じ地名があるだけでも何か怪しいですし、その遠里小野には不法占拠エリアもあったりで、さらに怪しさ倍増。
というわけで、今回は遠里小野の不法占拠エリアやアレな集落、そこにある謎の白蛇祠などを探訪してきました。
戦後ドサクサの闇をあちこちに感じる探訪にご案内しましょう。
遠里小野の歴史をおさらい
遠里小野(おりおの)は、かつて遠里小野村という1つの村でした。
大阪市と堺市の両方に遠里小野という地名が残っているのは、かつてここに大和川はなくて300年ほど前の工事で遠里小野村のど真ん中を東西に貫くようにルートが変更されたそうです。
そのせいで遠里小野村は川で分断、今のように「大阪市住吉区遠里小野」と「堺市堺区遠里小野町」に分かれました。
地図で見ると、このあたりです。この色がついているのは、遠里小野の中でも川沿いにあたる遠里小野3丁目。

遠里小野3丁目には朝鮮人不法占拠部落があって、河川敷の不法占拠や不法耕作が問題になっていました。
今はすでに不法耕作など目に見える問題は解消されましたが、今も微妙なエリアが残されています。
今回はその微妙なエリアと、謎の白蛇祠を探訪しました。
現地に広がるアレな雰囲気
それでは、現地の探訪を始めましょう。
川沿いに立つ不規則な建物と、フェンスで囲まれた意味深な土地。
不法占拠があったエリアでは定番となっているような風景ですね。

この写真でいうと、左側の建物は河川敷沿いに立っています。
右側のフェンスで囲まれた土地は、かつてバラックが建っていたのかもしれません。
そしてさらに左側には、市営住宅があります。こういう構図も、アレな感じを想起させます。
それでは、この微妙な集落を散策してみましょう。




4枚目の写真は、フェンスの周りと中にある百花繚乱の花壇です。
近くに住んでいる人が手入れしていると思いますが、これもだんだんエスカレートするとまたぞろ不法耕作につながりそうな・・・
不法占拠の名残を示すフェンス群
それでは次に、この集落の反対側である河川敷に出てみましょう。
とはいうものの、河川敷に出る通路が分かりにくい。
このフェンスで囲まれた通路を入るのが正解です。

この通路を進むと、さらにフェンスで囲まれた通路があります。
ここを通っていると、自分がフェンスで囲まれているような気分になります。

もう察しがついているかもしれませんが、このフェンス群は不法占拠の名残です。
かつてここにバラックや不法耕作の畑なんかがありました。
このあたりはもう撤去済みで、再度不法占拠されないようにフェンスで覆われています。
このフェンス群の真下あたりには、不法耕作(国有地で勝手に農業)がありました。国土交通省の資料に当時の様子が記録されています。(いずれも国土交通省「大和川河川敷における不法耕作是正の取り組み事例(報告)」より)


なかなか立派な畑です。かなり長期間にわたって不法耕作をしていたそうで、畑の建物も年季が入ってますね。
これを国土交通省が撤去して、こうなりました。

これを見ると、いかに広い畑だったのかが分かります。
やっぱり、戦後ドサクサの闇は深い。
このフェンス群を通り抜けると、堤防に出ます。
堤防の真横には、南海高野線。

電車からよく見えていたそうで、「何であんなところに畑が??」となっていたんだとか。
この近くの別エリアでは、なんと河川敷に豚舎まであったそうです。
これも国土交通省の別の資料(国土交通省「大和川の現状説明」)で知りました。

不法占拠だけでは飽き足らず豚を飼うとは、何ちゅうド厚かましさ。
畜産、しかも豚。アレがアレであることをさらに感じてしまいます。
河川敷に広がる異様な風景と白蛇祠
河川敷側から件の集落を見ると、何とも異様な風景。
どこまでが私有地で、どこからが国有地(?)なのかもう分かりません。
でも何となく土地の権利関係がややこしそうなのは分かります。

まぁ、河川敷ってこういう風景多いんですけどね。
悪気がなくてもちょっと花壇くらいなら置いてもいいかな、という程度のテヘペロはあります。
ただ、ここの場合はそれが何とも本格的というか、異様なんです。

ここなんか、木が全部伐採されています。何で?
さらに先に進むと、いよいよ目的の白蛇祠があります。

周りの建物と比べても、ここだけ明らかにせり出してます。
おそらくですが、このせり出してる部分は国有地っぽいです。
そんなところに、白蛇と鳥居。
もうちょっと近づいてみましょうか。

お供え台があります。
私がこの場所を知った某ネット動画では、ここにお供えとして果物が置いてありました。
そしてなぜか、鳥居の一部が壊れていました。
今回(2025年10月)は鳥居が修復されているので、今も誰かが管理しているんでしょうね。
おそらくこの家(?)の主だと思いますが、絶対にヤバそうなので関わったらアカンやつです。
今回の目的地はこの白蛇祠ですが、さらに微妙な集落は続きます。
せっかくなので、先に進んでみましょう。

ここは一直線に土手が並んでいます。
つまり、ここが私有地と国有地の境界なんでしょうね。

MNK・・・こんなに高い壁にこれだけの文字。
これを書くのはさぞや大変だったことでしょう。落書きも楽じゃない。
土手の中腹には標識と謎のトマソン
さらに先に進むと、土手の上にこんな標識が。

「大和川距離標5.0Km」と書かれています。
河口から5km地点ということなんでしょうか。
この標識の横に階段が見えますよね、この上に道があるのかと思って登ってみましたが、何もなくただのトマソンと化してました。
でもこんなところに階段だけ作るのは考えにくいので、かつて階段と道があったものを何者かが自分の敷地みたいにしてしまったんでしょうか。
堤防の通り道がほとんどない問題が発生
さて、ここでひとつ問題が。
ここまでの河川敷からの風景で、全く通路がないことにお気づきでしょうか。
ぎっしりと建物が連なっていて、ここに降りてくる通路も狭いフェンス群の間を抜けるような道でした。
この集落があるせいなのか、このエリアがそもそもアレな感じなのかは分かりませんが、とにかく通路がない。
同じところに戻るのもなぁ、と思って探していると、上に通路らしきものを見つけました。
そこまで上がる階段はないので、草むらの土手を登っていきます。
すると、建売住宅のような家が並んでいるところに、小さな通路がありました。
そこを抜けると堤防の反対側に抜けることができました。

この通路以外に、見える範囲には全く堤防を通り抜ける道はありませんでした。
この通路から河川敷に降りる場合も、この分かりにくい道を見つける必要があります。

しかも、この通路を通り抜けても、河川敷に降りる階段はありません。
草ボーボーの土手を降りなければならないので、実質的に道なき道です。
何とも不親切な感じですが、これもやっぱり不法占拠とか不法耕作とか、アレな経緯が関係してるのかもしれません。
集落唯一の飲食店は、お約束の焼肉屋
ところで、この集落には1軒だけ飲食店があります。
焼肉屋です。

うん、なるほど。そういうことね。
ちなみに、今回探訪した白蛇祠についても、朝鮮半島と関わりがあります。
というのも、韓国の済州島には白蛇を信仰する文化があって、大阪に集住している在日韓国人の多くは済州島出身者です。
こういう情報を総合すると、この地域の特性とか、歴史的な経緯が何となく見えてきますね。
以上、大和川沿いにある遠里小野の微妙でアレな集落と、さらに香ばしい白蛇祠の探訪レポートでした。
なお、Googleマップには「白蛇祠」があります。
しかしながら、そこに表示されている情報はすべてこの白蛇祠とは関係がなく、ネット上にほとんど情報がないことを物語っています。



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